大和朝廷にも匹敵する一大勢力であった吉備王国。その力は現存する古墳や神社仏閣、旧所名跡にも偲ばれる。
歴史・文化薫るそれら遺跡群を紹介することで吉備路の魅力の一端を感じていただければ・・・と思っている。
岡山といえば桃太郎ということで、第1回目は民話桃太郎のルーツともいえる温羅伝説(うらでんせつ)にまつわる遺跡を紹介する。 伝説の軌跡を巡ることで古代吉備王国の歴史とロマンをご体感いただきたい。



1.鬼ノ城 −伝説に昇華した過去を山火事が暴く−
紅の曼珠沙華が燃えるように道端を彩り、石仏が路傍に居座り寂寥感を漂わせる。そんな非現実的な空間をつっさきながら山道を車で進んでいく。 目指すはその昔、鬼が住んでいたといわれる温羅(うら)伝説の舞台となった地、鬼ノ城(きのじょう)【温羅伝説はこちらから】
猪避けのトタンが張り巡らされた段々畑や小さな集落の生活臭で現実との距離感をつかんでいかないと、どこか最果ての地へと迷い込むような不安感にかられる。
【復元された鬼ノ城 西門】
麓から約20分、車1台がやっとの細道を抜けると少し道が開け、目指す鬼ノ城の駐車場に到着した。実はこの鬼ノ城の存在があきらかになったのはほんの数十年前。
それ以前は鬼の住んでいた地という伝説のみが残る山だったのだが、山火事によりうっそうと生い茂った木々が焼け落ち石垣等が露出。
その後の調査の結果、それが大和時代に建設された朝鮮式山城址だろうと判明した次第。
鬼の住処は朝鮮からの侵略に備えた防衛施設だった・・、山火事により伝説が現実へと引き戻された瞬間だ。
鬼ノ城−標高約400mの鬼城山に築かれた全周2.8kmの城壁をもつ朝鮮式山城。東西南北に4つの城門と6つの水門、その他全国的にも珍しい防衛効果を高めるための角楼、食糧貯蔵庫跡やのろし台、水汲み場まで備えてあり、敵の侵略に会った際の住民の逃げ込み場所でもあったようだ。
【青と緑のコントラストが美しい鬼ノ城からの絶景】
現在大々的な復興作業を行っており西門と角楼、それに続く土塁が完成の域に達していてその雄大な姿を現している。このような古代山城の復元は全国でも初の試みらしい。それが可能となったのは石垣や土塁などが旧来の姿で残っている部分が多かったからで、本場韓国からも多くの学者が視察に訪れているくらいである。
西門付近では吉備路一円から遠く四国坂出の工業地帯まで見渡せ、敵の進軍を察知することに適したこの地に山城を築城したこともうなずける。鬼ノ城は現在ではハイキングコースとしても整備されているので(1周約2時間)、天候によっては遠く大山まで見渡せるというその大パノラマを眺めながらウォーキングを楽しむこともできる。


2.新説・温羅伝説 −勝者により残される歴史、敗者が語る新伝説−
民話桃太郎のモチーフとして温羅(うら)が悪者=鬼として描かれる温羅伝説。大和朝廷より派遣され鬼から民衆を救った吉備津彦命(きびつひこのみこと)は英雄として記されている。しかし、本当に温羅は悪者なのだろうか?歴史は勝者により残されることが必定であり、敗者の声は闇に葬られる。
最近吉備路地方で語られ始めた新説・温羅伝説をここに紹介する【新説・温羅伝説の詳細はこちらから】
戦いに敗れ異国の地、吉備路地方に流れ着いた百済の王子一行。彼らの優れた製塩、製鉄技術を吸収することで政治的、軍事的力を増す吉備王国。地元の媛を娶り吉備の国の首領となった百済の王子、温羅は吉備冠者と呼ばれ民衆から親しまれるようになっていった。そのことは全国平定を目指す大和朝廷にとっては面白くなかったであろう。そこで大和朝廷は吉備津彦命を将軍に任命し派遣した。
戦いは一進一退であったが左目に矢を浴びた温羅はついに捕らえられ首をはねられてしまう。民衆は嘆き悲しみ、温羅も死して尚それに応えるようにうなり続け命を悩ませ続けた・・・。闇に葬られたであろう敗者の嘆きを物語として紡ぎあげ、温羅が地元の英雄として描かれる新説・温羅伝説。道端に咲く万珠沙華が温羅の無念を代弁するかのように真っ赤に咲き誇っている。



3.吉備津神社 −神として祀られる鬼−
伝説=ただの作り話とのイメージは強いが温羅伝説は現実と伝説がリンクしている部分が多い。
(1)温羅が伝えた製鉄技術→鬼ノ城の麓 阿曽地区は古来より鋳物生産が盛んに行われていた。温羅が生贄を茹でたとされる鬼の釜も大きな鉄釜である。
【生贄を茹でたという伝説の残る鬼の釜】
(2)左目を弓矢で射られた温羅→鋳物生産時には左目で鉄を溶かすための炎を見るそうで鋳物に従事する人は左目の視力が悪いかたが多いそうだ。
(3)矢の刺さった左目から噴出した血は血吸川(ちすいがわ)に流れ、下流の赤浜まで真っ赤に染めた→当時、砂鉄を川に流し沈殿した鉄粉を採取して鋳物の原料としていた。故に川がさび色に変色していた可能性が高い。砂鉄を流した砂が堆積しているため血吸川は天井川とよばれ周辺よりも高い位置を流れている。
伝説と現実が螺旋状にからみあい永遠の時を刻んでいるのだ。鬼ノ城から吉備津神社までの道中、複数の温羅伝説いわれの地を車中より眺めことができる。鬼の釜・矢喰いの宮・茶臼山御陵などである。国道180号線をまっすぐ岡山市街地方面に進路をとると、鬼ノ城から丁度20分で吉備津神社に到着した。すぐに吉備団子の看板を大きく掲げた土産物屋が目に入り桃太郎伝説発祥の地としての雰囲気が漂ってくる。
【比翼入母屋造りの壮大な社殿】
吉備津神社、桃太郎のモデルといわれる吉備津彦命が祀られている神社だ。吉備津彦命が温羅との戦いのとき射る矢を置いたとされる岩(矢置き岩)を左手に見ながら石段を登っていくと正面に出雲大社よりも大きいといわれる社殿が見える。
『比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)』と呼ばれる桧皮葺きの屋根を2つ並べた外観は壮観である。意外なことは、この社殿に吉備津彦命とともに温羅とその弟が祀られていること。勝者が歴史の闇に葬り去ることができなかった温羅の威光を垣間見ることができたようで、私は内心ほくそ笑んだ。
社殿から離れ長い回廊を右折し下っていくと、温羅伝説に由来する鳴釜(なるかま)神事が行われているお釜殿を目にすることが出来る。中世の台所を模して造られているためか殿内に大きなしゃもじやお櫃も置かれており、壁や柱は煙でいぶされて漆を塗ったように黒光りしている。鳴釜神事は釜に水を沸かして中に玄米を入れそれにより反響する音で吉凶を占うという全国的にも大変珍しい特殊神事だそうだ。実際にその音は地中に埋められた温羅のうなり声のごとく地の底から湧き上がってくるような印象をうける。千年以上の時を得ても尚、民衆を想い吉凶を占い続ける温羅。形あるものは歴史の風雪にさらされることで朽ちていく。しかし温羅の民衆に対する想いは新説・温羅伝説とともに永遠に語り継がれていくことだろう。


温羅伝説ルート
サンロード発 → 鬼の釜 → 鬼ノ城(復元の完了した西門まで散策)→ 矢喰いの宮 → 吉備津神社  → 鯉喰神社 → サンロード着。
2時間〜2時間30分程度で一巡できるので、是非1度、桃太郎伝説のルーツといわれる温羅伝説をお客様自身で体感いただきたい。

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