第18回 平成19年8月1日 シャングリラVと大阪城
 ユーミンのシャングリラが大阪城ホールで最後の上演とかで、女房から電話があり「行きまっせー」と返事をしておいた。

我々の世代はユーミンより荒井由美のほうが馴染み深い。私が入社した当時、美大の学生シンガーとしてデビューしたと思うので私より、2、3歳年下ではないかな?

「卒業写真」「ルージュの伝言」等など、たくさんの歌がわが青春と共に蘇ってきます。

 8月1日、女房、娘、孫まで一緒に難波まで出かけ、夕方18時の開演まで時間つぶしとなった。お昼を食べて、映画を見ての積もりが、肝心の映画が満席の為、3時間ばかりの空白が生まれた。

婦女子グループは買い物でもしようという事になったが、私はトンと買い物に付き合うのが大の苦手であり、かれこれ7、8年前には、中々決まらぬ娘の洋服に私が大爆発となり、二度と買い物には同行しないと我が家の掟が制定され、それ以来、買い物には同行出来なくなりました。

「お父さん、18時に大阪城ホール北口の石段下で待ち合わせネ。」と告げられ、一瞬戸惑いを覚えましたが「大阪城ホールと言えば大阪城」といとも簡単な思考回路で「大阪城見学」と相成った次第で御座います。

昭和53年から57年まで大阪勤務でしたので4年間もいたのですが、大阪城に登城した記憶が無く、これも何かの縁と申しますか地下鉄中央線で森之宮まで行き、玉造口から桜門へ。

「こりゃー思うとったより広いでー」外堀、内堀、石垣のスケールは想像以上です。桜門を抜けると正面に36畳ぶんもある大きな石が立ち塞がる。岡山藩が瀬戸内の島から切り出して運んだと書いてある。岡山城はこのブログでも紹介はしたが、岡山城にこんな大きな石は使っていない。幕府に対しての「おもねり」かな?

 いよいよ天守閣へ。階段を使って一階から展示物を鑑賞しつつ8階の展望室へ。眼下に大阪城ホールも見えて、位置確認。現在の天守閣は昭和6年の復興建造物であり10年前には「平成の大改修」で手が入れてあり拝観しやすくなっている。

豊臣時代の大阪城、徳川幕府の大阪城、昭和の大阪城と3度も建て替えられ、それぞれの歴史を見続けてきた天守閣に畏敬の念を抱くとしても不思議はない。

天守を出て北側の極楽橋に向かう途中で「淀君、秀頼自刃の地」の石碑に足を止め、豊臣家に思いを巡らした。昔、松下幸之助さんと堺屋太一さんの対談に「関が原で西軍が勝っていたら、日本の首都は間違いなく大阪や」と力説されていた事を思い出した。現代の様に何でも東京中心は関西人としては「オモロナイ」ことはあるでー。

 さて18時、女房達と合流。「シャングリラV」の会場へ。スタンド席の前から5列目で視界良好。18時45分開演です。ピアノの引き語りから始まり、器械体操、舞台がプールに変わってシンクロの演技、空中ブランコ、綱渡り等、歌を聴きに来たのは勿論なのですが、サーカスもシンクロも見なきゃいけんし、忙しいのでござる。スモーク、火炎、花火、レーザー光線、火事になったらどうしようと非常口まで気になる始末。

これじゃ、おちおち聞いとられんでー(初老男のケツの座りの悪さョ、写真が撮れませんので、ご想像下さい)

 最新機械設備を駆使して、ユーミンも昇ったり、下ったり、走ったりで怖くないの?息切れしないの?とか心配性の私は気が休まりませんでした。

しかし、50歳を過ぎてのスタイルとスタミナはどうだ、思わず女房殿に言ってしまった。「ユーミンは50歳を過ぎてもスタイルがいいねー、あの足の美しさはどうや」女房殿は無言。因みに愚妻は51歳になっていた・・・・。

 この最新設備なのにアナログ発見。スタンド席に4箇所、マンモス(?)の頭蓋骨と骨が置いてあり終盤、曲に合わせてそれが動き








始めた。これには孫も大喜びで、少々退屈気味であったのだが、上機嫌。

「すごいなー、ここまでの仕掛けがあるとは、モーターで動かしているんやなー」よくよく見ると黒子のスタッフが汗だくになって揺らしているではないか。笑えるけれど人間って良いなと妙に思ったのです。

 今回も番外編となりましたが、ご覧戴き、ありがとう。
第17回 平成19年7月15日 鬼ノ城
 先日、東京の友人から「日経新聞の夕刊に鬼ノ城が載っていたよ。」とメールがあった。残念ながら、総社には日経の夕刊は無い(金が無いけーとっ取らんのじゃろー)

あれ以来、天気が良い日を選んで写真を撮りに行こうと思っていたら、なんと台風4号が過ぎた昼過ぎにその事を思い出し、鬼ノ城に向かった。
「今日なら瀬戸内海もバッチリ見えるデー」と期待して・・・。
「見えとります。バッチリと」嬉しくて安物のデジカメでパチリ、パチリ。

テレビ局までが来てカメラを廻している。やはり私と同じ考えをする人がいるものだ。いやいや、私の考えがプロ並みなのか?

「竹ちゃん、何しょうるん」と声を掛けた人がいる。なんとテレビ局に同行している市観光課の三○補佐ではないか。「連休と云うのにガンバットルデー」

 さて「鬼ノ城」は「きノじょう」と読みます。
大和朝廷が朝鮮半島に進出し天智2年(663年)白村江(はくすきのえ)の海戦で唐、新羅の連合軍に敗れます。
日本に攻めてくるとの事で、西日本各地に朝鮮式山城を築いたそうです。その頃築かれた物の1つであろうと云われていますが、まだまだ研究の余地が多くあり、詳細については駐車場横にビジターセンターがありますので事前学習の上、歩かれると、一層理解が深まる事でしょう。

「版築土塁」と云って、たくさんの人間が土をつき固めて高い城壁を築いたり、各所に排水機能を持つ水門があったりで、古代の人々の建築技術に驚かされます。

 城と云えば「姫路城」とか「彦根城」の様な戦国から江戸期のお城を想像される方が多いはずですが、時代が大和朝廷の時代ですので城の姿かたちが大きく違いますので念のため。(わしが、そう思っとたけー ゆうて 皆がそう思うとるとは 限らんのー)

 駐車場から西門までの往復なら30分。屏風折の石垣、北門を周り城壁に沿って一周すれば2時間程度は掛かる。

ビジターセンターに飲料が無いので必ず携行して下さい。それと、山頂の駐車場までの道が狭いので、くれぐれも安全と譲り合いの精神で運転してください。




第16回 平成19年6月22日 名古屋港水族館 
 また、また番外編です。
私は少しばかり水族館マニアかもしれません。先日、単身先の総社から三重の我が家に帰り、孫を連れての日帰りコースに「名古屋港水族館」に行く事となった。

愛知県の伊良湖にいた時には出来ていたはずで、何度も行くチャンスはあったのだろうが、何故か今回まで縁がなかった。我が家から約2時間で到着。

「伊勢湾岸道路」が開通しているので思ったより早い。入場ゲートを入るとイルカの水槽がドーンと目に映る。孫はそれを見て興奮状態に突入。

鳥羽水族館、大阪の海遊館も何度か訪問はしたが、この水族館も中々のものと期待感が高鳴る。

イルカが水中で泳ぐ姿勢はいつも「仰向け」なのは何でじゃろーと不思議に思った。その答えはイルカショーで解決。空中にある投げ輪、ボール、フリスビー等、目標物を見るとき仰向けの方が視界が広がるとの事。芸の為とは云え涙ぐましい努力をしているのです。

イルカショーと云えば「南伊豆」の下田海中公園のイルカショーも好きだった。トレーナーとイルカの気持ちが繋がっていて感動ものでした。小さくとも心温まる水族館であります。


さて、名古屋港水族館に戻りますが、イルカ水槽の裏側に廻って、2倍の感動。シャチの「クーちゃん」と2頭のイルカが広い水槽を優雅に泳いでいるのです。

2003年、和歌山県太地の「くじら博物館」からクーちゃんは来たのです。黒と白のコントラストボディーの美しいこと。このシャチが群れになって鯨を襲うとは「人(いやいやシャチ)は見かけによりません。」

ここの見学席がベリーグッドなのです。前面ワイドスクリーンにジュウタン張りの階段式スタンド。寝転がって見学しても注意は受けない雰囲気でした。靴を脱いでゆっくりと何時間でも座っていたい。そんな感じがするのです。いっその事、「畳敷き」にしたらどうだろうと提案したい。このコーナーが最高です。

場内はフラッシュ撮影は禁止の為、一枚だけノーマルで「クーちゃん」を撮りました。もう一枚は私の家族です。背景に映っているのが「南極観測船富士」です。

時間のある方は共通券(大人2,400円、小中学生1,200円)を購入されると水族館、海洋博物館、観測船富士、展望室が見学できてお得です。
第15回 平成19年5月27日 薬師寺にてコンサート
今回も番外編です。27日の18時から奈良の薬師寺で「石井竜也」のコンサートがあり、そのチケットを娘からプレゼントされた。妻と難波で待ち合わせ会場へ。

妻が石井さんの元ファンですので、私は付録のようなものです。
当日は東塔と西塔の間に月が昇り、コンサート日和(?)。

以前からお寺の本堂なのでコンサートをやっている事は聞いていたし、お寺さんでやるなら「おとなしゅう、しとらんと罰があたる」と思っておりましたので、そういう面で興味があったのです。

ちなみに薬師寺は1,300年以上前から存在しており、1,528年の兵火で東塔を残して諸堂が灰燼に帰した歴史があります。しかし、昭和42年、故高田好胤管主が伽藍復興を発願され平成15年に復興を終え、その白鳳伽藍の美しさには目を見張ります。

高田管主の講和や出版物は我々の世代には懐かしく、修学旅行で薬師寺に行かれ、お話しを聞いた人も多いのでは?
テレビにも毎日のように出演され、下手なタレントより露出度は高かった。その熱心さがこの伽藍を復興させたと思うと、ただただ合掌。


さあーコンサートの始まりです。バラード調の曲が一時間続き「さすが、カール・スモーキー石井も仏さんの前では神妙(仏妙?)じゃのー」と思える進行振りでした。
がしかし、二部になりますと薬師如来のお許しが出たようで一気にブレイク。全聴衆が立ち上がり、踊るは振るはの盛り上がり。妻のような中年婦女子もたくさん居られ、だぶつき気味の肉体にブチかまされ、虚弱体質の私は肉体の壁に押し付けられ窒息寸前のありさまでした。
残念ながらコンサート中は撮影禁止の為、写真はありません。

今回のコンサートでメインテーマが「Present Tree Live」となっていた事は驚き。入場料の一部が木の苗の購入資金となり、熊本県球磨村の植林放棄地に一万本以上植林されるそうです。

こういったアーティストの世界にも環境問題は無視出来ない時代であり、我々市民も「環境問題」を身近な事として捉え、出来る事からやって行かなくてはと感じた次第。

最後に笑えた話。管主さんが挨拶の中で「お帰りの際、金堂の中に石井さんがデザインしたDARUMA OBUJECTが展示してありますのでお帰りの際、ご欄下さい」と案内され、規制退出が掛かっていたのですが、ほとんど全員の人が金堂に押しかけ前に進まない。




※決死のチラ録りのため、ブレてます・・・。
案内の坊さんがこう言わはった。「どうぞ、少しずつ前にお進み下さい。オブジェの前では立ち止まらず、チラ見でお願いします。右手に国宝のご本尊さまもおわします。気が向きましたらこちらもお参り下さい。」

この案内には待っている人が大笑い。絶妙の「緊張の中の緩和」でした。
第14回 平成19年5月7日 囲炉裏亭にて薪割り
5月6日 9時45分、高知より高速バスでやって来た友人と岡山駅で合流。新潟県の関山までの長い旅が始まった。新幹線で名古屋、中央線で長野、信越線で関山への鉄道旅である。


昨年秋にこのページでも紹介した「囲炉裏亭」に、薪割り作業の為の労働奉仕(?)に行くのである。

名古屋で約1時間の待ち合わせがあった為、久し振りに「山本やの味噌煮込みうどん」を食べようという事で、駅裏の地下街の店に行った所、はや長い行列。やむなく断念した。「今、値段はなんぼしとるんかのー」とウィンドウを覗いたら、セットメニューで2,200円也。「えろー高こうなっとる」と二人で顔を見合わせ、びっくり。
「鰻や」さんに変更。


17時、信越本線の「関山」到着。「囲炉裏亭」の主人と地元知人の歓迎を受け「囲炉裏亭」へ。

半年振りの訪問だが新緑と山桜が満開で山里の春を実感。囲炉裏に火を入れ、自在鍵に鍋を架け、酒盛りのスタート。瞬く間に時間が過ぎたのでした。


翌朝8時半、行動開始。昨年「囲炉裏亭」主人の実家に積み上げていた丸太をトラックで「囲炉裏亭」に運び込む。「薪割り」も私の得意種目で、まずは「模範演技」にて実演。囲炉裏亭の親父殿のお世辞に乗せられて、次から次へと作業継続。

30分が過ぎるとまずは一服。よく冷えたビールの美味しい事。二つの斧で交代しながら昼を迎えた。


12時に長野に住む先輩の訪問あり。近くの「手打ち蕎麦」屋にて昼食。農家のおばちゃんがやっている鄙びた店。5月の連休は忙しかったと言っていた。此処の蕎麦は“つなぎ”にヤマゴボウ(オヤマボクチ)を使うそうで、コシが強くツルツル感がある。蕎麦も場所によって色々違うものだ。

昼食後、15時までの作業続行。縁の下一杯に薪が積み上げられ終了。鳥のさえずり、蛙の声を聞きながら至福の労働でありました。「次は夏前かな?」「いやいや、そうショッチュウ(度々)は来られんでー」と言いつつも、次の再開を楽しみにしている私でした。




第13回 平成19年4月15日 岡山城
今日は休日。天気が良さそうなので「幕末、維新をかけぬけた岡山の人びと」展をやっている岡山城に行った。こちらに来て二度目である。

総社駅から吉備線で岡山駅。そこから城までテクテク歩く。(昼にビールを飲みたいので電車にしたんじゃー)烏城通りに差しかかると木々の緑が心地よい。お城のある町は歩くに限る。色んな珍しいモン(物)の発見があるけーな。


 後楽園に渡る橋の上で遠景をパチリ。烏城と名の付くとおり黒い天守閣がりりしく建っている。しかし、どうも城の形がイビツに見えてしかたない。一階部分がこちらに向かって飛び出ているようだ。もう少し近づいてみる事にする。

 「オオ、まさしく出っ張っとるでー」石垣も壁もとんがって出ておりまする。

ということは・・・?


正面に廻って見るとこちら側はスッキリと塩倉を左に従えて平面でござった。側面を確認の為、植え込みに入ろうとしたら

「そこは、入っちゃーオエン」とボランティアガイドのおっちゃんに怒られた。怒られついでに聞いてみた。

「何か、城の形が変じゃが?」

「そりゃー、一階部分が五角形なんよ」と教えてくれた。岡山城以外は安土城の八角形があるとのこと。


 もう1つ、発見。廊下門を入って行くとき右側の塀に銃眼の穴が見えます。でも、何か変です。外側から内側に向かって穴が小さくなっています。これだったら、内側で銃砲を撃っている人に当たる確立が高くなる。ガイドさんに聞いた。

「はい、戦後の改修工事で間違えたようです。穴は内側から外側に向かって小さくなるのが常識」との事。

オイオイ、宇喜田さんの時代なら「切腹もんジャー」岡山城のボランティアガイドさんは親切でよく教えて頂きました。








第12回 平成19年4月3日 酒津公園の桜


 いよいよ花見シーズンですなぁ。
夜桜の下での酒盛りはこたえられません!と言いたい所じゃが、本当はさぶーて(寒くて)ビールの味がせんので(しないので)余り好きではないのです・・・。

 いつも思うのですが、こたつでも持ち込めば酒もうまいんじゃろーと思う。まっ、くれぐれも飲酒運転をせずに、ゴミを残さぬよう楽しみましょう。


 さて、サンロードからの「チョイ寄り桜スポットは酒津公園」がメジャーでしょうね。高梁川の堤防を倉敷方面に走って約15分。高梁川と並行して左手に桜並木が見えて来ます。

土手下の駐車場に車を止めて、しばし歩く。もう5分から7分咲きの様に見える。

平日の昼下がりだったので、花見客がチラホラとお弁当を開いていた。


倉敷は江戸時代から明治にかけて300年にも渡って干拓が続けられ、水の確保の為に高梁川東西用水組合が創立され、この酒津地区に取水樋門と配水池を造ったのが公園の始まりとか・・・。

桜と水の流れは中々マッチしていますね。今週末には満開です。


帰りの車中でラジオのパーソナリティーが言っていた。
「酒津公園の桜が一時期、咲かぬようになり、"咲かず公園”と呼ばれたため、地元の人達が力を合わせて世話をし続けたお陰で今日がある」とネ。
感謝、感謝。


 もう1つオマケ。
岡山は桃の産地で有名じゃ。桜と同じ時期に咲くのです。近くの桃畑でパチリ。桃の花もピンクが濃くて綺麗なんよ。花見で畑に入れば怒られるけーな。


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